◆第25回(テスト&ラーンに大切なもの)

ビジネスの取り組み方に関する指針として、最近「テスト&ラーン」(欧米だとFail-Fast)がよく取り上げられています。手探りしながら気づきや学びを得て進めていくというアプローチです。“テスト”(もしくはFail)を優先すべきだとする考え方の背景には、計画偏重型の行き詰まり感があるのだと思います。先を見通した計画作成が難しいという現実や、失敗を恐れずに前に進むことの意義を説明するセンス・メイキング理論などが後押ししています。また、後者の“ラーン”についても、皆の気づきを高速にフィードバックしあいながら学習していくアジャイルやリーンといったアプローチの実践も活発になり、一定の成果がでてきているためです。ITを起点とするビジネスが「エクスポネンシャル」(指数関数的)な性質をもつ点も影響を与えていると感じています。

ただ、これを現場に導入して実践してくのは、なかなか難しい。中でも簡単に進まない原因の1つに、意識・無意識を問わず「隠蔽体質」(的な組織特性)があると思います。各業界の偽装事件に見られるように問題を隠す傾向ですが、これでは肝心の(後半部分の)“ラーン”が進みません。テストとラーンはセットになって効果が生じるため、根本的な課題と言えます。

このため、仕組みの導入だけではなく、社員のマインドに働きかけるアプローチこそが大切だと考えています。失敗に関する捉え方の部分ですが、この認識を個人レベルだけではなく、組織レベルに浸透する取り組みが必要です。テストは「してもいい」ではなく「欠かせない」という点に加えて、その結果は(うまくいった場合はさて置き)「誰がやったのか」から「そこから何を学べたのか」への思考回路の焼き直しです。

この点「テスト&ラーン」は、この時代ゆえのものではないと思います。歴史を振り返ると、古代ギリシャで華々しく知識が開花したものの、その後(神が創りし世界という)イデオロギーの神聖化が人類の進化を停滞させてしまいました。思考停止状態です。その後に起こったルネッサンスを機に、再び「テスト&ラーン」が活発となり、人類は大きなメリットを享受してきたと考えるためです。極論すると、「失敗(≒トライアル&エラー)との向き合い方がすべてを決める」と、歴史的な経緯や個人的な経験則から感じます。

では、失敗から前向きに学ぼうとする組織に変えていくにはどうしていくのがよいのか。大きくは以下の2つに集約されます。

 ①適切なシステム
 ②マインドセット

①は言うまでもなく、「やってみて学ぶ」の仕組みやプロセスです。主に生物の進化論に着眼した考察から様々な理論が提唱されています。進化とは結果論にすぎず、選択・適応の繰り返しであるとする「累積淘汰(累積的選択)」のメカニズムという捉え方です。生物に限らず、社会システムとしての自由主義や資本主義も、このプロセスを繰り返して成長を続けています。

但し、分かっちゃいるけど、難しい。根強い「心理的な抵抗」が立ちはだかるためです。この心理的な抵抗は「個人レベル」と「組織レベル」の2つに分けられます。

個人レベルの心理的な抵抗に関する原因として「認知的不協和)」が着目されています。一方、組織の心理に関する抵抗の原因は、当然ですが「非難の恐れ」です。前者が失敗を隠す「内因」、後者は「外因」と言えます。

人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語

特に(外因となる)非難の恐れは、組織内に強力な負のエネルギーを生むと言われます。だからこそ(仕組みやプロセスといった①適切なシステムだけではなく)「②マインドセット」に着眼して手を打つ必要があります。繰り返しになりますが、テスト&ラーンを推進すべく①(適切なシステム)を整備・強化しても、②(マインドセット)が原因で有効に機能しないケースが多いと感じているためです。この場合、大切な「学習機会」が失われ、失敗を繰り返すことになります。

この難問とも言える組織の心理に潜む「非難の恐れ」を低減、解消する取り組みが強く求められています。特に日本の組織は、和を尊ぶ日本の文化もあり、本人の恐れを突破できても、本人以外の周りの声が悪影響を与えてしまう。また国民性に依存せずとも、人間の特性として「人の脳に潜む先入観によって物事を過度に単純化してしまう」点も大きいとする研究結果が増えています。現在の日本の組織に見られる傾向で言えば、「誰の責任か?」とする脊髄反射的な犯人捜しをする思考回路です。現実の複雑さを過小評価してしまいやすい。「個人」ではなく「システム」(対象全体とそのメカニズム)を考察するべきです。

この点、個人を追い詰めると、無駄なエネルギーの浪費が起きます。具体的には、統計学者でありながら、金融トレーダーでもあるナシーム・タレブ氏による造語である「講釈の誤り」による捏造が起こるためです。これは、所謂「後解釈」(後だしジャンケン)です。人は非難を避けるべく、不都合な真実と解釈の塗り替えを行っていく。最後は、隠すというより、間違っていなかったと信じ込むという現象です。これを組織レベルで行うことは、貴重な時間と能力を大量に浪費することになる。

少し脱線しましたが、本質は(個人ではなく)「システムを見て考える思考回路を作っていく」ことだと考えています。ここを突破していかなければ、本質的な組織能力の強化、ひいてはテスト&ラーン導入により得るべき成果につながりません。

この点、改めて素晴らしさを感じるのが、「トヨタ生産方式」です。切り取り方によって様々な解説がなされていますが、私が着眼しているのは、検証メカニズムです。不具合が発生するとラインを止めて、関係者が多角的な観点から原因究明を徹底的に行う。原因を究明するまでラインを止める。開発期間の短縮や原価低減だけでなく、人材育成にも目を向けているからだと思います。トヨタイムズともいうべき思想を感じます。また結果論かもしれませんが、短期的効率よりも中長期的に大切な「学び」を重視する組織づくりにつながっていると感じます。さらに凄みを感じるのは、その「徹底力」ともいうべき継続性です。

昨今、個人の評価指標と偉業の関係性に関する研究にしても、従来のIQ/EQからGRIT(やり抜く力)に着目し、その相関性を解明している研究がとりあげられています。この組織版とも言えます。兎と亀のイソップ寓話のように、継続力は知力や体力を凌駕するということなのかもしれません。

テスト&ラーンは、組織として取り組むことで価値を創出します。ここに多様性を加えることで、新たな気づきに基づく価値の再定義がなされていく。最初からイノベーションを狙うような華やかな取り組みとは言えませんが、マージナル・ゲイン(わずかな進化)を粘り強く積み重ねていく。その結果、大きな成果につなげていくという考え方が前提にあります。

この点、イノベーションには「漸次的イノベーション」と「融合のイノベーション」があり、前者が段階的に進化していくもの、後者が異分野の融合によるものです。この観点からテスト&ラーンは、漸次的イノベーションの土台と言えます。一方でこの土台に多様性を加えることが、融合のイノベーションへと繋がっていく(可能性を上げていく)と考えています。心を開き合うことで、第3者のマインドによる探索ができるためです。

組織全体がミスをムダではなく学習機会と捉え、真摯に「システム」(対象全体とそのメカニズム)に目を向けて学んでいく。それを継続して習慣化する。やるべきことは明快です。哲学者のカール・ポパーのいう通り「真の無知とは、知識の欠如ではない。学習の拒絶である。」は芯をついています。この点、アメリカの公立学校における生物教育での『進化論』の扱いが、神がつくりし世界を主張するプロテスタント信者(正確には福音主義の保守派)の抵抗が強かったために、1968年以降になってようやく法的に認められたという事実に、改めて考えさせられます。いつの時代でも一定数の人が確かだと信じているものを変えようとすることは、とても大変です。人は慣れれば慣れるほど、熟練すればするほど、現状にとらわれてしまう。

「テスト&ラーン」は、仕組みや制度の設計・構築・導入だけではなく、その後の運用こそが肝。そしてこの運用には、組織的な心理に留意した粘り強い対応が必要です。時間はかかるが、効果が大きい。結果として最も「費用対効果」がよい。そういう時代ではないか。そう考えています。