◆第13回(組織設計の基本思想の変化)
和を尊ぶ国民性もあり日本企業の活動は、他国と比べて『組織戦』を強みにしてきたと考えています。そして、それがとても有効に機能してきました。ただ、1990年代に始まった低成長・成熟した社会に転換する(失われた30年の)間に、日本企業の多くが徐々に自信を失ってきた。以前から指摘しておりますが、苦しい経営状況も重なり挑戦する風土もどんどんと減衰してきていると感じています。
他方でグローバライゼーションの流れもあり、ある意味で挑戦的とも言えますが、欧米流のマネジメント手法を輸入して、良いとこ取りを試みてきています。しかし、これが結果的に日本企業の強みである『組織戦』に負の影響を与えているケースも生じていると感じています。
考え方として「良かったから維持すべきもの」と「悪かったから直すべきもの」があります(もちろん時代の変化を受けて「良かったけど直すべきもの」もあります。例えば現在ではブラックと評されてしまうような長時間労働です)。
しかし「組織戦」を支える組織は、人と同様に個性がある。文化がある。だからマネジメント手法の輸入は難しい。日本と欧米では、経営層の特性、組織的な性質、個人の特徴などさまざまな違いがある。個人の集合体であるが故に、個人以上に組織的な性質を可視化し、把握する難しさもある。
ただ、私はもう1つの捉え方で考えていく必要があると感じています。
日本企業の成長・発展を支えた要因には、上述の『組織戦』の側面に加えて、世界の需要に日本の供給がマッチしていたという時代背景がある点です。言い換えると、「社会構造がフィット」していた。それが日本人の特性、日本の組織にフィットしていた、という点です。
大きな括りで捉えると、言い古された言葉になりますが「工業化社会」です。組織にも個人にも求める基本的な方向性があり、それは「バラつきの最小化」です。具体的には、組織にも個人にもミス防止や再現性を強く求める。現場オペレーションを重視し、ある意味軍隊型の指揮系統が有効に機能する。
ここに大きな変化が起こっています。それが(これまた言い古された言葉になりますが)「情報化社会」です。組織にも個人にも求められる基本的な方向性は、「独自性の最大化」です(極論するとアイデアとスピード勝負の領域とも言えます)。具体的には、創造性と機敏さが強く求められる。ある意味、工業化社会で組織や個人に求められた方向性と真逆のものに感じます。
直感的には、日々の生活もそうした環境下にある米国にフィットしている。実際に米国の中でもグローバルに成功している企業を多く輩出しているサンフランシスコは、ダイバーシティを体現しており、「独自性」が強い。
日本でも従来からテーゼに対するアンチテーゼのように、強い現場オペレーションと相反する組織風土の硬直化や変化への抵抗といったデメリットも議論されてきています。しかし、これまでは工業化社会という社会構造下で得られるメリットの方が大きかった。その分、幾分軽視されてきていたように思います。
情報化社会の到来により、根本的に求める性質が変化してきている。この根本的な部分を直視していくことが大切だと思います。当たり前ですが、情報化社会で求められる機敏さや創造性の発揮を組織や個人に求めるには、従来の制度や風土を大きく変更する必要があるためです。中でも大きな相違点は組織的なカオスや失敗が多発し得ることを前提として受け入れる点です。もはや組織風土改革という次元ではない。
このためこれからの日本企業に求められる問いは、日本の組織・個人の良さを企業の強みとして出来る限り維持しつつ、この新たな社会構造にどう対応していくのがよいか、だと思います。とても難易度の高い課題です。
整理すると、欧米のマネジメント手法の良いとこ取りは、ベースが異なる組織や個人の違いを深く理解した上で取り組むべき。なぜならば、日本企業は元来「組織戦」で強みを発揮してきており、動もすればその強みを弱体化させる危うさがあるためです。その際、社会構造の変化に関する本質的な部分も直視しなければならない。それは戦略や戦術以前に、組織や個人の在り方に大きな変化を求めるためです。
私がポイントの一つだと考えているのが、組織設計の基本思想とも言える部分です。ここが大きく変容してきている。工業化社会のそれは「ルールと基準」でした。これで「バラつきを最小化」する。悪く言えば、金太郎飴型。他方で情報化社会における組織設計の基本思想は、「自由と責任」だと考えています。実際に『ティール組織』、『恐れのない組織』、『本当の勇気は「弱さ」を認めること』、『天才!成功する人々の法則』、『異文化理解力』などの書籍の中でも、共通の支柱となっている基本思想だと捉えています。となるとバージョンアップしたマネジメント能力&スタイルが問われる。そう強く感じています。