◆第38回(着目されるエンゲージメント・マネジメント)
エンゲージマネジメントへの着目度が高まっています。大きな文脈としては、人的資本への投資価値が再認識されているためです。今世紀に入って以降、情報化社会が進んでおり、重視されてきたモノ・カネといった目に見えるハード資本よりも、ヒト・組織といった目に見えないソフト資本(インタンジブル・アセット)が価値創出の源泉だという点の再認識だと言えます(下記グラフご参照)。
<図>
上記の表によると、米国市場(S&P500)の時価総額に占める無形資産の割合は年々増加しており、2020年は時価総額の90%を占めるに至っています。即ち、企業価値評価において非財務情報に基づく評価が必須な状況になっていることを説明しているものです。一方で日本市場(日経225)では、引き続き有形資産が占める割合が大きい状況が続いています。
この点に関連して、厚生労働省の基礎データに基づき「企業の人材投資(OJT以外)の国際比較」(対GDP比)を内閣官房で行ったものが以下のグラフです。
<図>
日本企業の人的投資は、2010-2014年に対GDP 比で0.1%にとどまっており、米国(2.08%)やフランス(1.78%)など先進国に比べて圧倒的に低い水準にある。加えて、近年は更に低下する傾向にあるという内容です。
さまざまな研究で「人的資本投資と生産性の因果関係」が実証されてきていることを踏まえて、政府としても人的資本への投資を促す動きを強めています。
具体的には、経済産業省から2022年5月に発信された『伊藤レポート』です。人的資本への投資による日本企業の収益性改善を目的に、「目指すべき組織体制」の概要、そのために日本企業が行っていくべき施策を説明しているものです。特に強調しているのが、人的資本の望ましい姿と現状とのギャップをデータで把握し、徐々にそのギャップを埋めて、企業価値を高めていくべきだという点です。
また、それと合わせて2022年8月には内閣官房から『人的資本可視化指針』が公表されました。伊藤レポートで提言している「人的資本経営」の取り組み内容に関して、投資家向けの公表を2023年度(2023年4月以降の決算報告)から義務化していく方針を発信したものです。国際規格であるISO30414と整合性を合わせ、「開示が望ましい19事項」を規定しています。
本質は、人的資本への投資が今後の企業価値創出の源泉となり、企業の収益性を高める。そういう確信に基づいた提言と言えますが、上場企業に対しては外部開示の義務化という強硬的とも言える動きに及んでいます(もちろん、大きなお金を運用する機関投資家などによる影響も大きい)。
この人的資本投資に関して求められている個々の開示内容について少しだけ補足すると、従業員の男女比や中途採用の比率といった実態、休暇や福利厚生などの制度とその利用の実績、働きやすさや多様性を高める取り組み方針や実施内容などがあります。
そうした中それら以外の内容として毛色が異なる取り組みになるのが、「エンゲージメント」です。制度の設計や実態の単発的な収集だけでは対応できないためです。目に見えない(インタンジブル)典型的な指標であるものの、とても重要となる人的資本投資の取り組みとなる部分です。
下のグラフはベイン&カンパニーによる調査結果です。エンゲージメントが高い社員は仕事内容に満足している社員の2倍以上の生産性を発揮するという内容です。もともと日本は社員の満足度ややりがいが低いと言われているため、エンゲージメントを高めることで生産性が大きく改善されると期待されます。
<図>
毛色が異なると表現した理由として、この取り組みには「本質的な問い」と「継続的な学習」の2つが強く求められるためです。1つ目の本質的な問いの例として、「そもそもエンゲージメントとは何か、それをどう測定していくのか?」、「人材戦略との整合性や成果をどう評価していくのか?」、「エンゲージメントを高める要素(一般的にキードライバーと言われます)をどう特定するのか。そして、それをどう改善していくのか」といったものがあります。改めて、とても考えさせられる内容です。
2つ目に継続的な学習をあげたのは、伊藤レポートでも強調されているデータ・ドリブン型での「仮説設定」「測定」「検証・判断」「施策の実施」という一連のサイクルを進める中での学びの蓄積が求められるためです。この点、下図の真ん中にあるサイクルの検証・学びに加えて、図全体で示している全体としての検証・学びも重要になります。前者が「エンゲージメント向上に向けた検証サイクル」、後者が「企業価値向上との相関性に関する検証サイクル」です。
だからこそ、推進していく体制や運用基盤の整備と合わせて、あるべき推進スタイルを確立することが求められます。仮説を実行しながら学びを得ていく『トライ&ラーン』のスタイルです。
<図>
※少し脱線します。弊社では、このエンゲージメントを測定・分析するサービス基盤を提供している(選りすぐりの)メーカ数社と契約し、お客様に合ったサービスのご提案と、初期導入や導入後のご支援を行っています。
ここまでを整理すると、人的資本(無形資産)投資の重要性が再認識されている背景もあり、日本も国として企業側への働きかけを強めている。特に(人的資本を測定する1つの指標となる)エンゲージメントは生産性向上に寄与する点が様々な検証をへて立証されているため。一方で、それは目に見えない、把みづらいもので、継続的に変化していく。しかも会社ごとの特性や社員という個人の感覚に依存するもの。だからこそ、「トライ&ラーン」のスタイルをとり、学びの蓄積を行いながら進めていく点がポイントとなる。
最後にもう1点、この文脈を企業変革の観点から考えてみたいと思います。企業変革に関しては、ハーバード・ビジネス・スクールのジョン・コッター教授による企業変革モデルが有名です。段階を追って推進するアプローチが提唱されており、「危機意識を高める。」、「変革を主導する強力なチームをつくる。」、「ビジョンをつくる。」、「ビジョンを周知徹底する。」、「エンパワーメントにより、ビジョンに沿った行動を促す。」、「短期的な成果を上げるための計画を立て、それを達成する。」、「成果を足がかりに、さらなる変革を推進する。」、「この変革のアプローチを定着させる。」の8つです。
しかし、この変革プロセスにずっと違和感がありました。これでは経営層が考え、指示することがほとんどで、従業員はおとなし従っていればいい内容となっているためです。日本人の特徴、日本企業の風土を踏まえるとフィットしません。
日本企業はトップダウンで変革を推し進めるのではなく、地べたに足をつけて現場に深く関わるボトムアップアプローチがもともとの強みだからです。誰が何をといった固定的な指示系統がなくとも、オープンなコミュニケーションが柔軟に実践され、反対意見も含めて、あらゆる人の言葉に耳を傾ける。結果的に、戦略や計画を越えて、地に足のついた成果に向けて着実に進んでいく(蛇足ですが、経営学ではこれを創発的戦略と呼んでいます)。
ここで特質すべきポイントは、学習システムが内在している点だと捉えています。そして敢えて付け加えるならば、この必要条件としての“強い当事者意識”を皆が持っている点です。まさに高いエンゲージメントです。2000年代以降に欧米型の経営管理を輸入する過程で、この本質的な強みを活かしづらい状況に陥っている。そう感じてきました。だからこそ適切な「エンゲージメント・マネジメント」を通して、力強い日本らしい変革が後押しできるのではないか。新たな、いや元々の風土再生につながるものになるはずだ。そう考えています。